あたしのしこう No.002
あたしが最初に入手できたハードは任天堂のファミリーコンピュータ、通称ファミコンである、もともと多額の負債を抱えていた任天堂がゲームアンドウォッチの大成功によりそれを完済し残った売上を投入して開発したカセット交換式テレビゲーム、当初は自社のみでソフトを供給していくつもりだったのが、ファミリーベーシックの開発で同ハードに興味を持った先見の明のあるハドソンが参入することによってサードパーティーが誕生、続けてナムコも参入して一気に活気づいてきた
当時はハドソンなんて聞いたこともなかったし、ナムコといってもパックマンを出したということすら後で知る始末、かなりの無知な少女だった、友人の男子の兄がゼビウスというゲームで興奮していたがあたしにとってはなんで興奮するのかがわからない、ゲームといえばスペースインベーダーとパックマンくらいしか聞いたことがない、しかも自宅で遊ぶ訳では無いにで全然うまくならないしとてもヘタ、いくらやっても出来ない、おぼろげな記憶ではドンキーコングやマリオブラザーズの一面がクリア出来れば絶好調という有り様
記憶にある範囲で覚えている任天堂&主要サードパーティーで最初に遊んだと思われるゲーム
時期はてきとー
ハドソン
ナッツアンドミルク
とりあえず長くなったので一回切る
あたしのしこう No.001
ゲームとの出会い
あたしのライフワークや趣味は多々ありますが、SNS等での知人の方でいちばんお知りになりたいのは、やはり「ゲームのこと」だと思うのでまずそれについてから書いていきます
幼少時の家は裕福ではなかったものの貧乏すぎることはなかったのだが、何故か遊びの関連にいてはまわりの子達との差が大きかったと思う
何かを与えられるのではなく自分で何かを作っていくという感じ
絵を書いたりお話を考えたり工作したりという今で言うクリエイティブな子供だったと思う
もちろん本を読んだりおままごとやお人形さん遊びやボードゲームやトランプなどでも遊んでいたけど
初めてビデオゲームというものに触れたのは、やはり任天堂のゲームアンドウォッチ(電子ゲーム)だったと思う、近所の男の子が親に買ってもらったのをやらせてもらった、それまではテレビ番組にしろ本にしろ与えられたものをただ楽しむだけだったのが、自分がキャラクターを操作することによってゲームに介入できるということに驚愕した、すぐに欲しくなり親に聞いてみたもののもちろん買ってもらえず、いつも誰かに遊ばせてもらうというのがやっとという有り様
幼女なのでもちろんゲームセンターのことなどは知らず、当時流行っていたというスペースインベーダーやギャラクシアン、パックマン等も現物を見たことがなかった、それらを模倣した電子ゲームを目にするくらい、当時のゲームセンターのイメージはおっかない人達がいるところというイメージなので、幼児しかも女の子のあたしにとっては無縁のところ、そうして少しずつ成長していった
ゲームアンドウォッチも2画面のドンキーコング等は記憶に残っている、テレビCMもよく流れていた、後にテレビゲームと呼ばれるようなもの(ファミコンみたいに凝ったゲームは出来なかったみたい)もあったらしいが自分には無縁の遠い異次元でのこと、当時のこうしたゲームは一過性のものになると思っていた